運命が決定づけられる葛藤の日々!!


 絶対にゆらぐことのない強い想いを持てたときに、私の心の中に、これまでとは全く次元の違う確たる信念が芽生えたのを感じた。

 だからこそ、5月の連休が明けてからの血液検査で 異常が見つかったときと、その後の精検結果で深刻な状況であると知らされた時にも、さほど動揺することなく、至って 冷静に受け止められた。

 感染の処置に関する説明を受けた際にも、自らの決意を知って欲しくて、F先生に気持ちを伝えた。「最悪、切断という結果になっても 覚悟しています。全てお任せしますから、思い切ってやってください」 と話し、

 それに付け加え。「私の症例を 先生の貴重な経験として、今後 オペされる患者さんにとって、少しでもプラスになれば本望です」と伝えた。

 正直、自分の足の一部が、義足にとって代わる というのは 極力避けたい気持ちはあった。

しかし、自らが どのように願おうと、二人の先生に 全てを委ねるしか選択肢がないのだ。

 そんなとき、私の四人の子どものうち、ただ一人だけ県内に住む三男が、他の病院でも診てもらった方が良いのではと 問いかけたことがあった。

そのときの私は 多くは語らず、ただ一言。「全幅の信頼を置ける先生たちに 全て託したから、何等の迷いもない」と話した。

 その後 最初の、生理食塩水で洗浄するための手術では 効果がなく、次に 抗生剤を練り込んだセメントを直接患部に入れるための手術を行った。これも当初の三週目までは ほとんど改善が見られなかった。

 この頃 F先生の表情が冴えなかったことから、私なりに感じるものがあった。

 先生の口が やっと開いて、「厳しい状況です。色々と情報を集めています。一生懸命頑張りますから」、と告げられた。

 私はただ、よろしくお願いします、と 一言だけ返した。                    

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そして多くの人の想いと願いによって!!!


 その翌日であった。

 私の病室にT先生が見舞いに来てくれた。

先生と呼ぶ理由は、その方が、長男の 小学校時代の担任をされていた経緯があるからだ。

 T先生は、しばらく前に退職されたが、約20年前から、ある宗教のお世話役として奔走されてきた。再会は私がI氏の幼児施設を手伝っていたときになる。I氏ご夫妻も、その宗教の教えに導かれていたことがきっかけであった。

 T先生は串間の旦那さんと一緒に訪れ、そして私のために 懸命に祈りと願いを捧げてくれた。

祈りの言葉をともに唱え、その中で、病院の先生、看護師と介護の皆さん、私の周囲の人々、ご先祖、両親と家内、子供たち、連れ合い、孫、調理とリハビリの皆さん、最後に大自然の恵みに、感謝と願いを込めて祈った。

 苦しいときの神だのみという形容で済まされる単純なものではなく、意識を 遥か高みにおいた心境で真剣に 祈りを捧げた。

 思えば、F先生とK先生のお二人も病室を診回るなかで、時々両手を合わせられ「神様にお願いします」との言葉を掛けていただいた。

 その日を境に、私の中に これまでは絶対に到達することがなかった領域に 魂が導かれたのを感じたのだ。

 私を取り巻く それらの人々の 想いと願いによって、それが 大宇宙に届いたのだろうか。

 次の検査の結果は 信じられないほど急に良くなっていた。

勿論、二人の先生方の技術レベルの高さが一番であることは疑う余地はない。

ただ、それにプラスした何らかの力が作用したことも 考えずにはいられなかった。

 とにかく、症状は好転したのだ。

その後、同じ処置の手術を受けて、その五週間後に、腸骨からの移植手術が行われた。

 それから三週間余りが経った今の時点では、経過は順調なようだ。万全とはいえない点については、慎重を期するための警鐘なのだろう。

 その後も、三度の食事の前には必ず感謝の言葉とともに祈りを続けている。

 T先生の言葉に いつも出てくるのが、「神様はあなたにとって 最高の 人と 舞台を 用意して下さったのです」 という言霊です。それに続けて、「今回感染したのは、病院にいる時間を長くして、あなたの身体がゆっくりと休める機会を与えるための お導きなのです」 と話された。

 私がこれまで行ってきた、膨大ともいえるボランティア活動について、その多くは それほどの恩恵を 人々に齎していなかったと思われる。

 それは、きっと 与えようとする側の私の心根が、それに値するものでなかったことの結果であろうと、今回の入院のなかで初めて気付かされた。その気付きの根源となったのが、二人の先生のお姿だった。

 実るほど 頭を垂れる 稲穂かな という 詠み人知らずの句があるが、二人の先生の姿からは、まさに、人格者ほど謙虚であるという意味が、そのまま顕されていた。

 それは、私とは全く対照的で、人格が無いのにプライドだけは人一倍高く、自信過剰であった私は、教え方や指導方法が高慢になってしまうことも多々あった。

 今回の入院で、多くの看護師さんのお世話になり、介護の方にも親しく接していただき、それこそ「みんな違って みんな良い」という心境で、半年余りの病院生活を過ごすことができた。

 本当にありがとうございました。今はその気持ちでいっぱいです。

 退院後は、私を取り巻く大切な人々が待ってくれています。初めて出会うべきエキスパートも 何名かいます。今後の 確かな目標設定もできました。

 これからが 私の集大成であることを念頭におき、病院生活で学ばせてもらったことを自らの糧として、真の意味の 社会貢献活動を目指します。

 多くの人々へ 感謝の気持ちを込めて。


        ・・・最終章は右上に続く










ここから真の活動が始まる!!!


 ここまで 歴史と  福祉と入院のことを主体に書いてきましたが、その一つひとつは全く無関係ではなく、それぞれを結びつけるキーワードが「人」であり、詳しく言えば「人々の存在する証を確立する」ことになるのです。

 そして、狭義的な「私的価値観」を、広義的な「普遍的価値観」へとバージョンアップするために、団体活動のコンセプトを設定するにおいて、諸々の価値観を包括できるだけの幅広い定義を含ませることが肝要です。

 私たちが生活する上においての優先順位として衣食住について短絡的に考えれば、人であることの視点からは、まずは身に着けるものである衣類が優先します。しかし、一個の動物として見れば、何よりも 身体を維持するための食べ物が最優先となります。住まいは 環境が許せば、最低限、雨露を凌げればいいでしょう。

 それでは、価値観の視点から見てみよう。

卵が好きな Aという者がいた。彼は一年中卵があれば満足できていた。そこにBという、鶏を養うことが好きな者が現れた。

次に、野菜を栽培することが好きな Cという者がBのところに、「肥料にするから鶏糞を下さい。その代わり、鶏のエサとなる野菜屑を差し上げましょう」と言ってきた。

BとCが仲良く話をしていると、Aがやって来て、「私は何も交換するものがない。どうしたら良いのだろうか」と聞いてきた。

するとBが、「あなたの食べた卵の殻を鶏に与えれば、りっぱな卵を産めるので集めて持ってくれば卵と交換してあげますよ」と答えた。

Aは、それを聞いて、「それは在り難いことだ。しかし殻と卵では釣合いがとれないから申し訳ない」と言った。今度はCが、「それなら、卵をもらう分だけ Bさんの手伝いをしたら良いでしょう」とアドバイスしてくれた。

 こうして、この三人はお互いのできることを出し合って仲良く交際を続けた。

 しばらくして、BがCのところを訪れて、「卵ばかりだと身体に良くないから、これと一緒に料理して食べなさい」と野菜をあげた。そして Cに言った。「あなたは 充分に時間があるのだから、米や果物を作ったらどうですか」と。

 そこから Aは米を作り始めた。肥料は もらった鶏糞と野菜屑で充分足りた。果物も少し植えた。

米を収穫して 藁が残った。その藁を敷きワラにと Cのところへ持っていった。

そこへBが、「卵を産まなくなった鶏をつぶしたから」と肉を持ってきた。

 こうして三人は ますます親密になり、そのうち 米も野菜も 卵も食べきれないくらいになって、販売しようということになった。

 三人の米と野菜と卵は、美味しいからと評判になって、どんどん売れていった。そうして三人は 更に生産量を増やしていった。

 ここまでの話から、あなたは どのように思われましたか。

 つまり、このこと全てが、普遍的価値観としての証であるのです。

 最初は一人ひとりの私的価値観による行動が、他の人に目が向いたことで、そしてお互いの私的価値観を持ち寄って、それぞれが互いの求めに応ずることができたため、次第に普遍的価値観に基づいた生産体系へと移行していったのです。

それが相乗効果となり、大きな成果へつながったということなのです。

 このなかで 特に重要なことがあります。

それはお互いの言葉を 素直に聞き入れ、それに沿って行動し、力を合わせたことで、結果的に経済効果としての成果へとつながったということです。

 これから私たちが行おうとする活動も、まさにこれなのです。今まで個別の団体ごとに行ってきた活動を、広く周知することで、南九州のどこかの団体と連携してイベントを開催する機会が生まれてきます。

 考えてみて下さい。国会議員の選挙遊説に関ったことのある人なら 解かると思いますが、朝8時から夜の8時まで、選挙区内を駆けずり回ります。その時間と距離は相当なものです。

 そのことを考えれば イベントの出演者が午前と午後に分けて二か所のイベント会場で公演を行うことが可能となるのです。

それをお互いの会場で交代し合えばそのインパクトは相当なものになります。

 また、近隣地区での、同日イベントや、週ごとのイベントにおいても、提携して スタンプラリーを行えば、大幅な集客アップが図れるでしょう。

 その キーステーションとなることが 南九ネットシティの存在価値であると信じて下さい。新たなる創造に向かってともに邁進しようではありませんか。

 大いなる可能性を期して―・・・・・               

          第一部 終わり


東京オリンピック

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■2020東京オリンピック Support Miyazaki




■会社名:東京オリンピック サポート 宮崎
■所在地:東京都 宮崎県
■連絡先:050-5534-8827
■代表者:渡辺直也
■設  立:2014/07/07

・・・・・・・・・・・・・・・感謝からの学び・・・・・・・・・・・・・

 この世に生を受け、私たちは いかに多くの人々と
関ってきただろうか。

 私が心に刻んでいる想いのなかに、次のことがある。
 
この地球上の多くの国のなかで、そして70億といわれ
る人々のなかで、この日本に命を受けたことだけでも
感謝すべきなのに、その上、温暖な南国に生かされて
いることは、それだけでも選ばれし一人としての恩恵を
受けているのだ。

 衣食足りて礼節を知る という言葉があるが、その
表す意味のなかには、人間は皆、最低限の生活が
補償されなければ、真の人格を形成することはできな
いということだろう。

 だからこそ、日本人であることと、今の時代に生かさ
れていることに感謝し誇りを持つべきであろう。

 ふと思い浮かべては後悔することだが、若し全盛時
の収入が多かった時代に、しっかりと蓄えていれば、
ゆとりを持って社会活動に専念できただろうに・・・と。

 しかし、その一方では、蓄えが多かったとしたら、今の
心境になることなく、高慢さと自信過剰から一生抜け出
せないまま終わっていたかもしれないとも考える。

 とにかく、経験値だけは積み重ねができたのだから
それも一つの財産と捉え、今後に活かすべきだろう。