人生の岐路は予測できないところから!!


 成熟期に達した後に訪れた 長期の不況のなかでの生活を強いられてきた人々の内心には、多くの不安要素が蓄積していきました。

気がつけば自らも高齢初期に達し、近いうちに両親の介護が始まるのだという現実を控え、それが一つの懸念材料にもなっている。

多くの社会活動に参画している私としては、時間がいくらあっても足りないほどの作業を抱えているため、睡眠時間は平均して4時間くらいであろうか。周りからは、若いときならともかく、その年になって そこまで自分にムチ打って 何になるのよ、少しは休んだらと言われ続けてきた。

案の定、今年平成26年の3月はじめに スレート屋根から落ちて足首の上を 複雑骨折した。おまけに退院間際になって 感染していることが発覚し、一時は切断かというところまできた。

この文章を書いている時点で、187日目である。これまで6回の手術を受け、最後が腸骨の骨を移植するものだった。今後順調に推移すれば今月(9月)いっぱいで退院できるかもしれないが、なお予断を許さない状況は変わらず、突然 感染がぶり返す危機感もある。

 しかしながら、今回の入院において奇しくも、人生で 最高の出会いを与えられたことは、骨折にさえ感謝すべき、貴重な出来事であった

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出会いの形には多くの種類がある!


 人生には数多くの出会いがあるが、そのほとんどは一過性のものである。

 道行くときに、ちょっとだけ会話を交わしたり、ふと目が合ったりするだけのことも出会いには違わないだろう。その数は一生のうちには数千程度では収まらないと思われる。

 そのような不特定多数の浅い出会いではなく、自らの人生に何らかの影響力のある出会いがある。その最たるものが家族との出会いであろう。

そして その出会いのスタートが母親のお腹のなかでの神秘的な生命誕生の瞬間である。そこから280日は、母親と一体となって小さな命が育まれるのである。

 こうして誕生し最初に家族と対面する。そこから世界の数十億の一人としての人生がスタートする。それから後は 出会いの連続である。幼稚園、保育所、小学校、中学校、高校、大学と、その節目には更なる多くの出会いがある。

 そして、それから後も自らの人生に大きな影響力のある出会いが何回か訪れる。

 私自身も 多くの出会いのなかで、これはといえる大切な出会いが十数回はあったと記憶している。だからといって、その瞬間は、それが将来に渡る大切な出会いであったかどうか解かるはずもなく、予測すらできないのが当然である。

 大切な出会いであったかどうかは、少なくとも、その後十数年、長い場合は数十年を経た後に改めて振り返ってみて初めて納得できる性質のものであろう。

 それでも、一つだけは例外がある。それは 結婚相手との出会いである。

 この時ばかりは、他の出会いとは全く感覚が違っていた。何回か見合いをしたが、その時の感覚は漠然としていた。結局は自らの目で初めて見た今の家内との 最初の出会いの瞬間とは、明らかに違っていた。これだけは、他の出会いとは全く違う異質のもので決して 理屈では言い表せない領域の世界であった。

 それから、39年が経過した今年、これほどの出会いに巡り合えるとは・・・今はただ感謝するのみである。

 それは平成26年3月10日 午前9時50分ごろであった。

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絶対的信頼感といえる初めての出会い!!!


 あえて言うなら、今回の骨折も一種の出会いである。思えばそれ以前の10月と12月の二度、命に関るような危ない目にあっていた。

奇しくも今回は三度目の正直であった。

 今となっては、その怪我にさえ感謝したいぐらいの気持ちである。それほどにまで今回の出会いは、私にとって重要なものとなったのである。

 それは、整形外科の二人の先生のことである。この F先生と K先生の二人のうち、どちらかの先生が串間市民病院に勤務されていなかったとしたら、私自身、現時点でこの病院に居ることはなかっただろうと確信できる。

 私の症名は、右足首の開放粉砕骨折である。相当複雑に折れていて、内側の大きい骨が肉を突き破って外に出ていたことで開放骨折となったのだが、おそらくその時点では 串間の市民病院で手術ができるかどうか、救急救命士も判断できかねるほどの症例であった。

三角巾を巻かれながら、救急隊員と病院とのやりとりが聞こえていたが、そのときの 病院側の応答が、一応 連れて来てくださいというものだったらしい。

 病院に着くと、我慢できない痛さのなかで、「大丈夫やりましょう」、という、しっかりとした声が聞き取れた。

 直後に注射をして傷口の洗浄を経て、病室へ運ばれた。午後4時に手術室に入り、創外固定の手術を受けて午後6時頃に集中治療室へ。そこで一晩を過ごした。

 それから一週間後、腫れが引いたことで、正式な接合手術を受けた。予定は 4〜5時間との説明だったが、終わったのは午後10時で 約8時間を要した大手術だった。

 予備手術の数日後、私は二人の先生が朝食時に 食堂と病室で、患者の一人ひとりに対し 笑顔で優しく丁寧に容態を聞き取りされている姿に接したとき、癒し的な安心感を覚えた。それは私の中で次第に 崇高的な信頼感へと高まっていったのである。

 時折、厳しさを見せながらも冗談を交えて接する K先生。あくまで優しい言葉にときどき精一杯のジョークで和ませようと接してくれる F先生。スポーツに例えると、名監督と 名コーチの理想的な態勢がしっかりと確立できているのを感じた。

 絶対的信頼感といえる気持ちを 人生のなかで初めて感じた出会いがここで生まれたのである。

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